アメリカでJDを取得するには、ロー・スクールから卒業しなくてはならない。ロー・スクールには、4年制大学卒業後又は大学4年生である時点で応募できる。応募するには、過去何年間のうちに、年に4回行われるLSAT(Law School Admission Test)という共通試験を受けておく必要がある。学校によっては、一定以上のLSATスコアを取得した場合、$60-$100程度の入学応募費用を免除することもあり、高得点取得は入試結果のみならず、経済的にも望ましいことなのである。最終的に、各候補の入学資格は、LSATのスコア、大学の成績や課外活動、卒業後の職業経験、志望理由を説明したエッセイ等を含めた書類審査の結果決められる。学校によっては面接を行うものもあるが、書類審査で秀でた候補でなければ受かることは難しい。
様々な団体が毎年ロー・スクールのランキングを発表しているが、そのうち最も有力なのが、学部(undergraduate)のランキングでも有名なU.S. News & World Reportである。毎年このロー・スクールのランキングの最上位を占めるのが、T-14と呼ばれる14校。これら14校のうち、1位から4位程度まではほとんど変化がなく、動きがみられるのは基本的に6位から13位あたり。特に上位2校(イェール、ハーバード)の卒業生はエリート中のエリートであるが、T-14の卒業生は、各校所在地域の法曹界でも存在感を発揮する。
JDを取得するには、ロー・スクールに3年間在学する必要がある。ロー・スクールの一年生は1L(ワン・エル)、二年生は2L(ツー・エル)、三年生は3L(スリー・エル)と呼ばれる。どの学校でも、1Lはほとんど決められたカリキュラムを受講し、試験は厳しい相対評価によるものとなるため、一番つらいのは1Lの一年間。大規模な法律事務所(通称・BigLaw)でバリバリ稼ぎたかったり、卒業直後に判事又は裁判官のもとでclerkshipに就きたいと思ったりする場合、1Lで優秀な成績を修めることは必須である。
1Lのカリキュラムは、学校によって多少の相違はあるが、契約法(contracts)、不法行為法(torts)、民事訴訟法(civil procedure(略称・civ pro))、不動産法(property)、憲法(constitutional law(略称・con law))などの基本科目の他、legal research and writing(略称・LRW)という法律事項のリサーチ及び法律文書作成のテクニックを教えるコースを必修科目とするのが普通である。また、各校の特性などによってその他の特別講習を1Lの必修科目に含めることもある。例えば、私の母校・ジョージタウン大学ロー・センター(GULC)は、国際法に力を入れていることもあり、春学期(2学期)が始まる前の1週間の間、国際法が絡んだ問題の解決を試みるシミュレーションを中心とした特別講習を1Lの必修科目としている。
2Lと3Lは、基本的に全選択科目となり、クリニック(clinic)と呼ばれる実践経験を積むことを目的としたコースも受講することができる。通常の科目同様、学校によってどのような科目のクリニックがあるかも異なっている。例えば、生徒数の多いGULCには、刑事事件の被告人弁護をするクリニック、低所得者層の住宅問題に支援を提供するクリニック、DV被害者に法的サービスを提供するクリニックなど、25のクリニックがあり、各クリニックには毎学期8-12人程度の生徒が参加できる。クリニックによっては3Lにならないと受講できないものもあるが、いずれにしろ受講前年に志望理由などを記したアプリケーションをクリニックに提出しなくてはならない。受講者は、基本的に担当教授とその教授の補佐役を務めるfellow(多くの場合はそのクリニックの法律分野において数年の経験を持つ弁護士)によって決められるが、少なくともGULCでは、必ずしもそのクリニックの法律分野に関連する経験や知識を持った生徒のみが選ばれるわけではない。当然、過去の課外活動や受講科目から、当該の法律分野に常に関心を示してきたとされる生徒が数人選ばれるのが普通であるが、新しい法律分野を学び、経験したいと思う生徒もよく選ばれる。
例えば、私の友人・N。彼は、つい先日、念願のBigLaw新職員としての生活を始め、知能犯罪の被告人弁護を専門とする弁護士を目指している。特に女性の権利や女性に対する暴力に関する仕事をしたことがある訳でも、今後したいと思っている訳でもなかったNだが、彼は、GULC在学中にDVクリニックを受講し、クライエントとのコミュニケーションの取り方、裁判所への必要文書の提出の仕方など、今後、他の法律分野の活動においても生かしていくことができる経験を得ることができた。
ここで少し私個人の経験について話したい。私も、GULC在学中、クリニックを受講した。私のクリニックは、International Women's Human Rights Clinic(国際女性人権クリニック。以下IWHRC)。このクリニックは、秋学期には人権問題に関する訴訟の補佐、春学期には人権問題の現地調査を行う。私は、2012年の秋学期に受講し、指定されたパートナーと共に、ウガンダ憲法裁判所から裁判所への上訴において提出するためのamicus curiae briefを作成した。IWHRCの秋学期の受講者は、毎年8人。各二人四組それぞれに、アメリカ以外の国(大半がアフリカの英語圏の国)で女性の権利を侵害する法律を違憲と訴える訴訟を一つ割り当て、訴訟を起こしている現地NGOの補佐的な役割を務めさせる。私とパートナーは、ウガンダにおけるbride priceの慣習は性の平等や個人の尊厳を保障するウガンダ憲法及び国際人権法に違反するものであるとの訴えを起こした現地のNGOらを支援し、その控訴にあたってのamicus curiae briefを作成した。
Bride priceとは、ウガンダ各地にみられる結婚に伴う伝統文化であり、結婚の際、花婿又は花婿の親族が花嫁の親族に贈る物品または金銭のことを指す。この風習は、地方や部族によって多少異なったもので、どのような物品をどれくらい贈るものか等に違いがあるらしい。また、本来は、花嫁の労働力の損失に対する代償であるはずのものであるが、植民地時代のヨーロッパ人は、この風習を人身売買と解釈したため、bride price(つまり、「花嫁代価」)と称するようになった。現代では、資本主義的価値観の進出の結果、地方によっては花婿やその親族が花嫁を「買った」かのように扱う者も出てきた。このため、この風習を人権問題及び意見行為と主張する声も出始めたが、本来の意味を尊重する多くの人々にとって、bride priceは捨てがたい風習であり、健全な形で風習を存続させたいと考える者も少なくない。そんな対立が続く中、女性人権団体・MIFUMIがこの風習を違憲行為として禁じることを求めた訴訟を起こした。この訴えは、ウガンダの憲法裁判所によって退けられたが、MIFUMIは控訴。この段階で、女性の権利に関する人権訴訟において豊富な経験を持つ別の女性人権団体・Law and Advocacy for Women in Uganda (LAW-U)が参戦し、以前から関係を持っていたIWHRCが、支援することとなった。ちなみに、この件は今年(2014年)になってようやく審問がなされ、判決はまだ出ていない。
さて、クリニックの他にも、ロー・スクール独特のプログラムや課外活動がある。これらの団体は、基本的に毎年開催されるコンペティションに参加し、選出されなければ参加することができない。これらのコンペティションに参加するには、まず、参加登録をし、参加費用を支払わなくてはならない。それで初めて毎年コンペティション用に作成される資料集を手にすることができる。GULCでは、mock trial(模擬裁判)、moot court(控訴レベルの模擬審査)、ADR(alternative dispute resolution;裁判外粉砕処理)の各チームへの参加資格を得るためのコンペティションに加え、law journal(法律ジャーナル;ロースクールでは単に「ジャーナル」と呼ぶ)のスタッフになるためのコンペティションがある。Journal以外のコンペティションは、年に1-2回実施され、秋学期には2Lが、春学期には1Lが参加対象となる。基本的に、各チームが参加する校外のコンペティションに類似した形のコンペティションが実施される。
ジャーナルのコンペティションはwrite onと呼ばれ、学校によって春学期又は春学期終了直後(要するに夏休みの始まり)に実施され、参加資格は1L及び転入生に限られている。ジャーナルと一口に言っても、各校ともに複数のジャーナルを誇っており、優等生によって構成されるmain journalの他、法律分野や関心事に基づいたものがひしめき合っている。ちなみに、GULCには12のジャーナルがあり、私は女性の権利、ジェンダー、性の問題等と法律との関係を探究するGeorgetown Journal of Gender and the Lawに所属していた。それにもかかわらず、write onは一つのコンペティションとして実施され、GULCでは、全参加者が共通試験のように同じ課題に基づいた模擬journal articleと出典の引証に関する小テストの解答を提出する形式になっている。この際、各参加者は、第一志望から第三志望までのジャーナルを選択するが、各ジャーナルの定員数と各参加者の特典によって所属が決まる。ただし、所属の可能性があるのは選択した3つのみであり、例えば競争率が非常に高いジャーナル3つを選択し、それ程の高得点を獲得しなかった場合、より低得点で他のジャーナルに入れた人もいるのに、自分はジャーナルに入ることができないということも起こりうる。ちなみに、模擬articleの採点は、各ジャーナルから選ばれた幹部の代表が、共通のルーブリックと採点法に基づき行うこととなっている。GULCでwrite onを実施するのは、全ジャーナル関連の事柄を扱うOffice of Journal Affairs(OJA)であり、課題内容も、採点法等もこの部署によって定められている。
法律ジャーナルは、判例や立法等の分析やこれらに関する法律的意見などを掲載した刊行物で、2Lと3Lによって構成されたスタッフによって編集される。掲載記事は、法学生や教授、その他の法曹家から募集し、編集幹部によって選択されたものが、幹部、そしてスタッフによって繰り返し編集され、出版可能な形になるまで何か月もの間、ジャーナル側と作者側との間を行き来する。各ジャーナルには、教員アドバイザーが就いているが、アドバイザーは飽くまで必要な時にアドバイスを提供することができるというだけの役割であり、運営は全て学生たちが担っている(法曹界では、このシステムを批判する者も少なくない)。
ジャーナル活動は編集を中心とするが、ジャーナルに参加する法学生は、自らの分析や意見記事を出版する機会を目的としている場合がほとんどである。ジャーナルによっては、スタッフによる作品の出版を保証するもの、出版を前提に何らかの作品の提出を義務付けるものもあれば、何らかの作品を提出すれば出版を拒否してもいいものもある。私のジャーナルでは、卒業する二学期前の始め頃までに、ジェンダー、性、人種のいずれかと法律に関する最低15ページの記事を提出すれば、ジャーナル・スタッフとしての義務を全うすることが可能であった。卒業前に不提出のスタッフは、スタッフ一覧から名前を外され、レジュメ等において同ジャーナルへの所属を名乗る資格を失うこととなっていたが、このような制限がどの程度強要されていたかは知らない。この規定は、GULCで公式のジャーナルとして活動するために従わなくてはならない最低限の規定に合わせたものである。
ロー・スクールには、もちろん自由参加の生徒活動もある。これらの団体には、特定の法律分野に基づいたものやマイノリティーの利害に関する活動に取り組むものの他、演劇やボクシング等、法律とは関係のないものもある。これ以外にも、地元NGO、政府組織、比較的小規模な法律事務所で様々なインターンシップをすることもできる。
就職活動において、クリニック、ジャーナル、模擬裁判チームへの参加、インターンシップ、その他の課外活動は、大きなプラスとしてとらえられる。基本的に、BigLawやclerkshipは成績の他、ジャーナル、模擬裁判チームへの参加が、NGO等のpublic interest系の仕事はその職種に適した経験を示す課外活動やインターンシップがそれぞれ重要視される。就職活動のスケジュールは、職種によって大きく異なる。まず、BigLawの人は、1Lの夏の終わりにリクルートされ、2Lの夏にインターン(summer associate)として各法律事務所に勤め、2Lの終わりに卒業後に正職員として採用されるか通知される。Clerkshipや政府組織(州レベルの検事、public defender(公選弁護人;通称・PD)を含む)の採用スケジュールは、連邦レベルでは決まっているが、州レベルでは多少違いが出てくる。NGOは、一部のfellowshipを除いては極めて不規則な採用スケジュールを持っているため、卒業後、何か月もボランティアとして法律系の仕事をしながら就職活動を続ける者、短期間のコンサルタントを務める者、一年又は二年間のfellowshipに就いてもその後また大幅な就職活動を再開しなくてはならない者も少なくない。基本的に、卒業後にNGOでの仕事経験を持たない者はNGOで正職員として雇われにくいといったcatch-22的状態にしばらく陥ってしまう者も少なくない。
このように、多くの3L生は、就職活動に追われているが、就職が決まっている者も卒業後に大きな難関が待ち受けている。5月に無事卒業したその直後、ほとんどのJD卒業生(つまり、正式に弁護士になりたいと思う者)は、7月末のバー試験(弁護士資格試験)に向けた短期集中型の講習を始める。10週間前後の間、試験勉強モードで、一日平均10-12時間程度勉強する前提の最低の夏休みが始まる訳である。バー試験は、全国共通ではない。全国共通の部分もあるが、州によって試験科目や試験構成も違えば、資格取得の基準も違う。これは、アメリカの連邦制において、各州がsovereign(主権者)であり、違う法システムの下に機能しているからである。バー試験は、全ての州で7月最終の火曜日と水曜日に実施されるが、試験3日目がある州もあれば、全国共通日を他州のバー試験で受けていれば、州法試験の部分のみ受験が可能な州もある。
試験結果の発表は、各州によって行われ、時期もバラバラである。私が受験したニューヨーク州は、「11月半ばまでに」結果を発表するとしており、特定の日時を指定しない方針をとっている。去年は11月の頭あたりに発表されたらしいが、今年は10月28日の午前0時頃に結果が出始め、私も午前0時20分頃、床に着く直前に、幸いにも合格を通知するeメールを受信した。無事に試験に受かった場合、その州のバーへのadmissionを申し込まなければならない。これも各州のプロセスはそれぞれ違う。例えばニューヨーク州は、20ページ程度のアプリケーションに加え、ロー・スクールによって発行される出席証明書、当事者の徳性について言及した推薦状2件と当事者が「法律関連の仕事」をした際の各上司からの宣誓供述書(affidavit)、それに、2015年のadmissionからは2012年以降にプロボノ活動50時間以上やり遂げたことを示す宣誓陳述書などを提出しなくてはならない。「法律関係の仕事」とは、インターンシップやボランティア活動、クリニックも含め、有給・無償も問わず、過去10年間又は21歳以降、より短い期間の「仕事」を全てカバーしなくてはならない。しかも、各推薦状、各宣誓陳述書、アプリケーションはそれぞれが公証人(notary public)によって認証されていなくてはならない。そのうえ、ロー・スクールの出席証明書以外は、当事者が全ての書類をまとめて提出しなくてはならない。試験を合格した後にも大変なプロセスが待ち受けているわけである。
ニューヨーク州では、これらの書類を提出し、アプリケーションが受け入れられたら、指定された日時に面接を受け、その面接で問題がないと決定された場合、ようやくswearing-in ceremonyに参加することができ、晴れて正式な弁護士として活動を始めることができる。私は、2010年6月にLSATを受験した際、弁護士になるための第一歩を踏み出したと言えよう。およそ4年半後の今、JDを取得したおよそ6か月後になっても、まだ最終目的地には到着していない訳である。
*There is no companion post in English to this entry because the purpose of this post was to share my (American) law school experience to young Japanese students and others who are not very likely to know people who attended an American JD program, took the bar, and is working to build a legal career in the U.S. There are many resources in English that discuss everything I've discussed, so I have faith that an English-reader can find something much more interesting and helpful than my personal experiences.
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