Thursday, January 8, 2015

歪められたキリスト教精神によって傷つけられるLGBTの人たちの尊厳

2014年の年末、米・オハイオ州で17歳のリーラ・アルコーンさんが、大型貨物車の前に身を投げ出し自殺した。自殺当日、彼女は自身のブログに「遺書」と題した書き込みをしており、本当の自分を両親に受け入れてもらえなかったことによって自殺に追い込まれた様子が浮き彫りになっている。

リーラさんの自殺が全国ニュースになったのは、彼女がトランスジェンダーの若者であり、それ故にキリスト教保守派の両親から受けた扱いに耐え切れなくなったことが原因だったからである。ここ数年間、アメリカではLGBTに対する寛容性が高まり、トランスジェンダーの連邦政府職員をより有効的に差別から守ろうとする同政府の動向や数多くの州における同性婚の合法化等、LGBTコミュニティーやアライ(「ally(同盟者)」、つまり、LGBTのいずれでもないが、LGBTの人に対する差別に反対し、彼らが平等な社会的な地位を得られる事を支持する人間のこと)にとってはいいニュースが続いていた。そんなこともあり、無条件に愛してくれるはずの親に自身のアイデンティティーを受け入れてもらえなかった若者の話を耳にすると、怒りとも、やるせなさとも言い難い気持ちに襲われる。



LGBTの人の権利が拡張し、より多くのアメリカ人が彼らを差別することは間違っていだと考えるようになっていくにつれ、同性愛者やトランスジェンダーの人を忌まわしい存在と認識する者たち、特に宗教上このような思想を持つ者は、差別されているのは自分たちだとさえ思っている気配さえある。米国は、人種的、宗教的、文化的など様々な形の多様性を誇りとしていながら、結局は、キリスト教徒(特にプロテスタント)でヘテロセクシュアル(異性愛者)の白人男性が基準点になっている。このため、この「基準」となるカテゴリーに一つでも当てはまる人の中には、当てはまらない人の権利が少しでも拡張されたりすると、自らの方が圧倒的に優位な立場にあるにも関わらず、すぐに被害者意識を持つ連中がいる。例えば、歪曲した宗教解釈により、同性愛者は地獄に送られるべきだと考えるような者の中は、同性カップルへのサービスを合法的に拒否できないことは宗教の自由に反することで、逆にキリスト教信者に対する差別行為だと主張するものさえいる。このことから、宗教上の理由による同性カップルへのサービス拒否を認める法案を可決する州議会も出ている(ただし、同法案は、州知事の拒否権発動により、法律にはなり損ねている)。

そんな中でも、アメリカのキリスト教信者の多くは、LGBTの人が平等な権利を持つことを支持している。例えば、2014年のピュー・リサーチ・センターによる調査では、プロテスタントの62%が同性婚支持という結果が出ている。個人的な経験上、リベラル派の若いキリスト教徒の間では、支持率は更に高いものだと言って間違いないと思う。また、その内で、教会での同性カップルの挙式を積極的に支持していない者でも、同性愛者に対する差別意識を持つ者は更に少なくなってきているかと思われる。

他方、キリスト教保守派勢力が強い地域では、LGBTの人たちに対する差別はなお激しい。私のように、リベラル派が強い地域や都市に住んでいると、LGBTの少年少女全員が、LGBTの人に寛容な地方に生まれて来られる訳ではないことを忘れてしまうことも少なくない。だが、特に、キリスト教保守派が優勢な地域では、自身のコミュニティーどころか親にさえ受け入れてもらえない若者も少なくない。子供がLGBTだと思えば、親はその性質を「治療する」という意識でconversion therapyというものを強制することさえある。Conversion therapyとは、性的思考もしくは性自認を「正しい」かたちに「矯正」することを目的とした「心理療法」のことを指すが、これはLGBTである事が精神病であるという科学的に信頼性が失われた理論に基づいた発想で、トークセラピーからエクソシズムから性的な「セラピー」まで、多様な療法が使用される。治療を強制される若者に危険を及ぼすことも少なくないが、conversion therapyは、ほとんどの州で禁止されていない。

リーラさんも、このような形のセラピーの被害者であった。彼女は、14歳の時、トランスジェンダーという性質の存在を知り、自身がそうであると認識したが、彼女の両親、特に母親は、彼女のアイデンティティーを全く受け入れようとしなかった。このため、リーラさんは鬱病にかかっていた。リーラさんの母親は、彼女をセラピストに会わせていたが、これは、多くのトランスジェンダーの若者が抱える悩みを解消したりや心の病を治療する目的ではなく、彼女のトランスジェンダーとしての自認を「直す」目的のconversion therapyの一種であった。リーラさんのブログには、母親がキリスト教の保守的な信仰を持ったセラピストばかりを選び、これらのセラピストは皆、トランスジェンダーと名乗る人間は我儘であり、考えが間違っているため、神の赦しを乞うべきであると言うばかりであったと記されていた。

この上、リーラさんの両親は、リーラさんが悲惨にも自らの命を絶った今となっても、未だにリーラさんが女であったことを認めようとせず、「息子(ジョシュア・アルコーン)」の死を悼む中で、リーラ・アルコーンという人間が存在しなかったかのように振る舞っている。トランスジェンダーの人は、周囲の人間から、自認している性ではないかのように扱われる事が少なくない。これは、法的に名前を変え、自認する性の人として生活を営んでいる人にも起きることで、例えば、保守層が強い米・アイダホ州で、急死したトランスジェンダーの女性が、家族によって男性として埋葬されたことがリベラル寄りのメディアによって批判的に報じられた。このように、死後も本人が自認する性を受け入れようとしない家族の態度や声明文などについては、本人の友人から、また、ソーシャル・メディアを通じ、正しい性別として扱っていないことに対する非難の声がよくあがるものである。

シスジェンダー(cisgender;略称・シス)の私には、トランスの人の気持ちや経験について語る資格はないのかもしれない。だが、ボランティア先で、トランスジェンダーの人から受けた差別行為の実体験について直接話をきいたこともあり、トランス差別というのは人間の尊厳に関わるものだろうということは認識している。例えば、MTF(Male-to-Female;生物学的に男性、性自認は女性)のクライエントの一人は、初めて会った際、男性の服装を身に着け、無精ひげもあってノーメイクだったことを恥じて、「今は(ホームレスなので)おばあちゃんの家に泊めてもらってるから、こんな格好でごめんなさい」と言った。彼女の祖母は、彼女がトランスであることを快く思わず、泊めている以上、本来のように女性の服装を身に着け、身づくろいやメイクをすることを許していなかった。別のMTFのクライエントは、(リベラルなワシントンDC周辺としては比較的保守的な)バージニア州に出かけていた際、訳もなく警察に身分証の提示を求められた。その日に限って、性転換と法的な名前の変更以前と以後の自分が同人物であることを証明する書類持ち合わせていなかった彼女は、唯一の身分証明書である性転換及び名前変更前の情報を記した身分証を提示したが、その結果、彼女は偽の身分証を提示した容疑で逮捕され、後に有罪となった。彼女は、自らの身分証を提示したにも関わらず、それが偽物だと言われ、文字通り自身のアイデンティティーを法的に否定されたのである。これは、屈辱的としか言いようがないのではないだろうか。ちなみに、彼女は、「二度とバージニアには行きたくない」と断言していた。

トランスジェンダーの人は、このように、ただでさえ社会からの理解が足りない立場にあるのに、一部の地域では、更にこれに宗教が絡み、単なる理屈や人間性へのアピールでは通用しない話になってくる。また、「汝の敵を愛せよ」とさえ説いたイエス・キリストの宗教が、多くの人間、特に、不安定な事も少なくない思春期の少年少女を苦しめることとなる行為を正当化することに利用されている。母親から、また、ミッション・スクールの中学校からキリスト教は愛と寛容の宗教であると教えられて育った私にとって、極めて不快な事実だ。

本人が自覚している性のアイデンティティーと違う性の人間として扱うということは、シスであろうがトランスであろうが、その個人に対して失礼な事であるどころでなく、その人の尊厳を傷つけるものなのではないだろうか。世界人権宣言第一条において、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利と について平等である」とされている。つまり、どのような性自認を持つ人間でも、同じような尊厳をもって扱われる権利を有する。トランスジェンダーの人も、シスジェンダーの人と同様に、自認する性の人間として扱われる基本的人権を持っている訳である。

リーラさんは、ブログの遺書に、「私の死は、何か意味のあるものでなくちゃならない」、「社会を直して。お願い。」等と、記していた。トランスジェンダーの人に対する理解は、少しずつ深まり始めているが、特に保守的で、宗教色が強い地方では、未だに極度の偏見が見られ、トランスジェンダー(それに、他のLGBT)の若者の多くが、「神」の名の下に、精神的な暴力の対象とされ続けている。ひとまず、リーラさんの願いが、一刻も早く実現することを願うこととする。



*This post is about the issues raised by the suicide of transgender teen Leelah Alcorn, which have not been reported (or at least not widely) in Japan, where LGBT issues have only recently become a topic of discussion in national politics. It is intended to introduce readers in Japan to the negative impact some religiously-couched beliefs on the well-being of LGBT youth. There are plenty of English language articles out there about Leelah Alcorn, the struggles of transgender and/or other LGBT youths and adults, the harm of conversion therapy, and the impact of religion (particularly conservative Christianity) on transgender and/or other LGBT persons. Google them, click on the links in this article (a lot of them are English), or...you know the drill.